『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』

先週末にきっちり1時間ずつかけて読了。
結論から言うと、想像以上に楽しめたのかな。
流行りモノとしてそれ以上に完全保存板でもなく、
それ以下に稚拙で読みにくい小説でもなかったです。


ただあれだ、この全体を支配している空虚は何かね。


なんかね、いい意味でぜんぜんドラマチックではないんだな。
この2つの小説の中の世界では、最初から最後まで何も起こらない。
蛇にピアス』では恋人を喪うっていうイベントがあるけれども、
それはあたかも、今日は雨が降ってますね、ぐらいの
軽微なモノになってた。と俺は感じた。


すごく、今の時代を反映していると思いました。
自分の好きなモノへのこじつけかもしれないけどさ、
写真の世界もそうだなーって。佐内正史さんがハシリだと思うけど、
特別じゃない、そこいらにあるものを写してて、
それがすごくカッコイイって。そういうのあるじゃないですか。
またこの話を出すけども、篠山さんがいってた、"夕日の時代の写真"。
これね、そのまま今回の芥川受賞作家さんに言えるんじゃない。
"夕日の世界の小説家"だよね。


ただ、これは分かったつもりになってると危険なことで。
ホンマタカシさんが木村伊兵衛写真賞とった時のなんかの
インタビューで言ってたことを最近読んでハッとしたんだけど。

凡庸な写真を100枚撮り続けたら、そのうちに1枚か2枚、すっごくいいのが上がってくる瞬間ってあるじゃないですか。そういうプロセスをとると、その1、2枚がすごく高い所にいくと思うんですよね。でも最初から狙ってなにげない所を撮った写真っていうのは、平均的に上の方に行くとは思うんですけれど、たぶんその凡庸のなかからの1枚を絶対に越せないって気がする。

凡庸なフリをしてカッコつけるのっていうのが一番恥ずかしい。
そういう意味では、この2人の作家さんたちは、計算で書いてない。
狙って空しくなってない。だから印象に残るのかもしれないな。


ただ、そういった時代性をストレートに反映させたものばかり
読みたいかっていったら、俺はそうじゃないから。
こと写真では、"凡庸ななかのグッとくる1枚"を捜し求めてるけど。